月別アーカイブ: 2006年6月

Bist du bei mir

「Bist du bei mir(あなたがそばにいるなら)」という、J.S.バッハのこの曲は、天に召されるときの歌です。
「なんという幸せだろう、主の優しい御手が、私の目を閉じてくださるのだから!」という歌詞の通り、クリスチャンにとって、死は終わりではなく、永遠の命をいただく天の御国に入る入り口なのです。
今度お葬式で歌う仕事を頂いて、この曲を選びました。
自分の死ぬときは、まだ想像できません。でも、この歌詞のような思いで、いつか主の身許に行けたら、と思います。

体力作り

もう6月も終わりです。
ウイーンでは、7月、8月は休暇の時期です。オペラ座も公演がないし、同僚や友人もみんな休暇にでかけます。
今年の夏はウイーンに居残る予定の私は、フィットネスクラブに行くことにしました。
夏はみんなでかけてウイーンにいないので、フィットネスクラブの1ヶ月券が安くなるからです。
しかもサウナがあるのが嬉しいです。温泉があったらもっといいのに・・・。

一緒に炊いてしまいました

連日の暑さ、日本を思わせる湿気のため、ウイーンでは今までになかったことが起こっています。
今日、お米を炊いて、食べようとしたら!なんと5ミリくらいの虫(たぶん蛾の幼虫・・・1匹だけでしたが)が一緒に炊かれていました!
お米の箱にわいてしまったんだ〜、と思って、もうそのお米の箱は開けられません。こわいよ〜
そのほか、いつもはお菓子の袋を空けっ放していても全然湿気らないのに、すぐに湿気ってしまったり、果物がすごい速さで熟してしまい、食べるのが追いつかなかったり。
さわやかなヨーロッパの夏はどこへ行ったのでしょう?

求めること

世の中で起こる、様々な不幸な出来事(戦争から肉親の死まで)を見て、神がいるならどうしてこんなことが起こるんだ、と考えがちです。だから神なんていないんだ、と言う人もいます。
でも、平和は自動的にはやってこないのです。私たち一人一人の心の中の罪(自己中心に生きる生き方)がある限り、この世に平和は訪れないのです。
神様の恵みは私たちに惜しみなく今もそそがれています。恵みは無償で提供されるのですが、神様はそれを押し付けてはいません。私たち人間が、自分の意志で、その恵みを求めなければならないのです。
求めれば必ず与えられる、キリストの愛に今日も満たされていたいと思います。

天にたからを

「盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、宝をたくわえなさい。」(ルカの福音書12章33節)
この世にではなく、天の御国に宝をたくわえる生活とは、何でしょう。この世で百万の富を得ても、もしかしたら明日私の命は取られるかもしれないのです。誰も自分の寿命を知ることができないし、またのばすこともできません。
この箇所はこう続いています。「あなたがたの宝のあるところには、心もあるからである。」
私の心は、ともするとお金や名誉やこの世の楽しみに行ってしまいそうになります。永遠の命・真理がある天に心を置き続け、宝をたくわえて行きたい、と思います。