家に帰る地下鉄の中。同じ車両の後ろの方で、なんだか人だかりがしていました。電車も停車したままでした。
どうしたのかなあ、と思って見ていると、どうやら一人の若い女性が、倒れているのか、寝ているのか、とにかく係員の人がほおをひっぱたいて起こそうとしても何の反応も示さないのです。
この地下鉄沿線は、麻薬をやっている人が多いので、彼女も麻薬中毒なのかなあ、と周りの人もささやいていました。
彼女がどうしてこんな風になってしまったのか、私にはわかりません。心の隙間を埋めたいと思ったのかもしれません。
けれどそんなことでは、本当に心が満たされるはずがないのです。
少しでも多くの人に、渇くことのないいのちの水を下さる、イエスさまに出会ってほしいと思いました。
月別アーカイブ: 2006年8月
この世のもの
うちに遊びにきた教会の友人が、飾ってあった私の写真を見つけました。
それは4、5年前のものだったのですが、その友人は「今と全然違う!」と言うのです。
当時の顔は今より少しふっくらしていたのもありますが、なによりも、この世のもののオーラがでているそうです。
確かにクリスチャンとして、この何年かで成長させていただいたという思いがあるので、彼女の鋭い観察力に驚きました。
意外と自分の変化は、自分ではわからないのですね。
教会はビジネスの場?
ヨーロッパの教会のミサで演奏する場合、たいてい建物の後ろの上の部分にオルガンがあり、私たち演奏者は、オルガンの前・バルコニーの上から演奏することになります。
なので、ミサに参列している人からは私たちが見えません。そのため、演奏の合間(神父さまのメッセージのときなど)は、みんな本を読んだり携帯でメールを打ったりしています。
そんな姿を見ると、やはり悲しくなります。この人たちにとって、教会はお金を儲ける場でしかないのかな、と思います。
たいていのヨーロッパの教会は、建物が古いので、その修復のために多額の費用を必要としています。だから、多額の献金をしてくれる日本の団体を呼んでコンサートをしたりもするそうです。
外側(建物)の維持に執着するあまり、中身(心)を見失っていないでしょうか。自分自身にも、常に問い続けて行かなければならないことだと思います。
教会の音楽監督
久しぶりに、王宮のアウグスティーナー教会のミサで歌いました。
今日はJ.ハイドン作曲のネルソンミサでした。
この教会の専属音楽監督の女性は、女優さんのようにきれいな人で、一児の母なのですが、指揮棒を持ってオーケストラを振るときの姿がとってもかっこよくて、大好きです。人柄もよく、みんなに慕われています。
彼女のだんなさまも他の教会で音楽監督をしていて、私はどちらの教会でも歌わせてもらっています。
夫婦で同じ世界を共有できるのって、とてもよいなあ〜。
一人一人が宣教師
私たちクリスチャンは、一人一人がイエスさまから使命をいただいています。
ですから、神学校に行って牧師になった人だけが、イエスさまを伝えて行けばよいのではなく、一人一人が宣教師、というくらいの自覚を持って、それぞれの職場や学校や家庭で、述べ伝えて行くべきなのです。
「見よ、わたしは世の終わりまであなたがたと共にいます」(マタイの福音書28章20節)と言ってくださっているイエスさまの言葉に力を得て、毎日歩んで行きたいと思います。