夏にヨーロッパにいたのは、2年ぶりでした。寒くて暗い冬ばかりに訪問していたので、久しぶりの夏のウイーンはことさらに明るく、さわやかでした!
夏は、オペラ座やコンサートホールが休みになる代わり、あちこちの広場で野外オペラやコンサート、映画上映などがなされます。
市庁舎前の広場でも、大きなスクリーンが登場して、毎晩クラシックやジャズのコンサートのDVDなどが流れます。その周りにはたくさんの屋台が軒を連ね、世界各国の食べ物が味わえます。
日本の”Teppanyaki”という屋台も出ていましたが、調理しているのは日本人ではありませんでした。
この時期は、日が暮れるのも遅いので、人々は夜中まで外で、音楽を聴いたりワインを飲んだり散歩したりして楽しみます。
日中は日差しが暑いけれど、日が落ちると何か一枚はおらないと寒いくらいでした。
市庁舎前広場 シュテファン寺院 国立オペラ座
月別アーカイブ: 2008年8月
マルティン・ルター
今回のドイツ・ヴィッテンベルクでの修養会に参加して、マルティン・ルターの生涯を少し知ることが出来ました。
昔、世界史の教科書でほんの数行でていただけの”ルターの宗教改革”が、すごくリアルなものとして感じられました。
宗教改革と一言で言っても、実際、当時のカトリックが支配する世界で、たった一人で「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ」と提唱することは、命の危険にもさらされるものだったに違いありません。
彼はまさに、その生涯をかけてその改革を押し進めました。彼を理解し援助した、市長であり画家でもあったルーカス・クラナッハが、たくさんのルターの肖像画を残しています。
免罪符や、良い行いではなく、ただ神の恵み・憐れみによってのみ、そしてその神を信じる信仰によってのみ、人間は救われるのだと言うことを、ルターは提唱し続けました。
ルターはたくさんの若者に神学を教え、聖書を生きた神の言葉として教えました。それまでは、上層の知識人しかわからなかったラテン語での賛美でしたが、自分たちの言葉・ドイツ語での賛美も彼はたくさん作りました。
ルターのこの生涯をかけた改革があったから、現在の私たちにもその福音が伝わったのだと思うと、言いようもない感動を受けました。
ルターのその“神への熱い思い”を、私も継承して行きたいと思わされました。
ルターハウス クラナッハ作「十戒」
2008年8月2日 城教会での賛美
ルターの町、Wittenbergに、城教会と言われる教会があります。
この教会の扉に、ルターが95か条の議定書を打ち付けたと言われているのです。
今回は、この教会で賛美の時を持ちました。
ヨーロッパ各地で活躍されているクリスチャン音楽家たちが中心となり、「グナーデン・アンサンブル(恵みのアンサンブル)」という名前で共に演奏をしました。
リュートとスピネットという古楽器と一緒に、ソロやデュエット、合唱と様々な形態での演奏でした。
曲もバッハやテレマン、シュッツといった時代の作品で、素朴だけれども深い響きの曲でした。
ヨーロッパの教会で歌うのは、やはり日本では味わえない感動があります。
この賛美の時は、アンサンブルを率いて下さった工藤篤子さんはじめ、メンバーの一人一人の信仰告白の場となり、会場全体が熱い思いに満たされました。
この場に私もいることをゆるされたことを本当に感謝しました!
城教会の内部
ルターが議定書を打ち付けた扉
集会の様子
リュートを弾く今村氏 スピネット
第25回ヨーロッパキリスト者の集い
ベルリンの壁
今回のヨーロッパキリスト者の集いは、ドイツのベルリンから列車で1時間ほど行った小さな町で行われました。
なので、その町に行く前に、少しだけベルリン観光をすることになりました。
私はウイーンに住んでいた時、合唱団のツアーで何度かベルリンは訪れていましたが、あまりじっくりと観光したことはありませんでした。
駅から出ている、観光バスに乗って、ベルリン市内をぐるりと一周しました!その途中に、ベルリンの壁が残されている場所も通ったので、私たちは途中下車をして観に行きました。
壁の前には、ナチス統治時の写真や、壁が出来た当時の写真が展示されていました。
改めて戦争の恐ろしさ、人間の罪を思い知らされました。